ある芸術家の逆行

 日めくりカレンダーを捲ると、今日の日付が逆さまに印刷されていました。
 今の時代、他に誰が日めくりカレンダーなど使うのでしょうか。不便なだけでなく環境にも悪い、毎日一枚ずつ紙を捨てていく習慣。日付けや時間などというものは、この現代社会において最も早く電子化されるべきことがらのひとつなのです。今日は土曜だったので、その数字は青く印刷されていました。横には小さな字で”大安 ひのと え”と書かれていました。
 私は困ってしまいました。生きてきて二十数年になりますが、逆さまの一日など一度たりとも経験したことがありませんでした。どのように過ごしたら良いかわからなかったのです。それが平日ならば、逆さまの一日に悩む暇などなく、まずは会社に行く準備をしなければなりません。会社に着いて、仕事を始めてしまえば、もう逆さまの一日になんて悩む必要もないでしょう。私は忙しくて、それどころではないでしょうから。私は手帳を取り出して、本日の予定を確認してみました。まず午前中は散歩をします。昼からはカフェに移動してしばらく時間をつぶした後、自宅用のコーヒー豆を購入します。夜はガラガラのライブハウスに行きます、無名バンドの演奏をいくつも聞きます。知らない人何人かとお話しします。
 つまり、今日は逆さまの一日なので、まずライブハウスに行かなければいけません。私は支度をし、着替えて家を出ました。
 まばらな人々がそれぞれの活動をしていました。部活帰りの女子高生の二人組とすれ違いました、犬の散歩をしているご老人とすれ違いました、ワインレッドのヘルメットを被った男がバイクで走り去っていきました。皆逆さまに進んでいきました。いえ、彼らが逆さまに進んでいるのではなく、私が真っ直ぐに進む彼らの中を逆さまに歩いていくのです。私の視界がきらきらと光りました。光はアスファルトに吸い込まれていってしまいました。生垣は緑色に光りました。それらは空を照らして色を変えてしまいました。
 私はライブハウスに到着しました。重い扉が開き、私はそれを押し開けました。客が十数人いました。私は彼らの色とりどりの衣類をじっくりと見ました。無名のバンドを見にいく人間たるもの、皆けばけばしい色使いのものを纏わなくてはならないのです。多くの者はTシャツを着用しておりました。それは音を蓄え、発散するにはあまりにも軽過ぎました。今日のライブがアコースティックなシンガーソングライターばかりであればよかったのに。運悪く、その日は日本人好みのシューゲイザーバンドばかりの出演となっておりました。フェンダー社のペラッペラのギターに驚くほどの轟音を浴びせ続けなければなりません。そうするためには重いチェスター・コートなどを着用してくるほかはないのです。
 ライブが終わりから始まりに向かって進みます。彼らのTシャツが間抜けな音を発し始めました。ギター・ボーカルはやりすぎとも言える陳腐な表情でそれを一身に浴びます。そのままでしばらく経ちました。
 「僕たちは名声を得たいから音楽をやっているのです」曲間にボーカルが話し始めました。
 天井のミラーボールが逆向きにくるくると回って、無名の観客達から光を集めます。
 「どちらもやっていることは仕事なのですから」と私は呟きました。
 「自称芸術家の中に、売れることを望まないものはおりません」と横にいた観客の男が話しました。それは、その日唯一その男がステージに届けることができた言葉でした。彼はユニクロのゴッホのTシャツを着用しておりました。大した音を発さないその日の観客の中で、その男が発する音はひときわ弱々しく、幾度も周りの人間にかき消されそうになりました。
 私は、死ぬしかないのかなあ、と思いました。芸術と呼ばれる作為をやり始めるべきかどうか迷ってしまいました。一弦と二弦の音が弱々しくぶつかって、はじけて消えました。
 そのバンドのベーシストは女の子でした。私は喫煙所で、ライブ前のその女の子と話す機会を得ました。
 「素晴らしい演奏でした」とその女の子は言いました。
 「ありがとうございます」と私は答えました。
 その女の子は、私に悩みを打ち明けてくれました。
 「売れたい」
 「そうですか」
 「売れるためのポップさは、私たちのボーカルの信念にそぐわないんです。私たちはそれでよく喧嘩します」
 天井に広がった紫煙がゆっくりと集まり、私たちの真上に持ち上がりました。それからそれは凝集し、蜘蛛の糸のように一筋となって、彼女の二本目の煙草に吸い込まれていきました。彼女は煙を吐き出しました。暗闇でひときわ目立つ、煙草の先のその赤さ。
 フロアには今でも音楽が充満しています。音楽を吐き出すことをやめないと、おそらくこの人たちは終わりを迎えてしまう。回遊魚のように、泳ぎ続けないと死んでしまうのです。このフロアはまるで下から見上げた水族館の大きな水槽です。ミラーボールは魚群の鱗から出る光を吸い込み、この上にはさらに光に満ちた空間が存在していることを暗示します。
 私はライブハウスを出ました。次はコーヒー豆を買いにいかなければなりません。
 いつものコーヒーショップは井の頭線沿いにあります。私は坂を下りていきました。線路沿いのセイタカアワダチソウがこちらに向かってぬるい風を吹きかけてきます。時にゆったりと、時に激しく揺れます。それは先ほど見てきたライブハウスの観客を思い起こさせました。全身で音楽を表現しているのです。
 途中で井の頭線の車両とすれ違いました。紺色と濃いピンクのラインが流れ、上部にある窓からはまばらに、乗客の黒い影が見えました。それは空を満たす雲のようにかたまって、停滞していました。四両目の窓際に背の高い、年老いた男性の影が見えました。彼はじっと窓の外を凝視していましたので、私と目が合いました。その瞬間、私と電車の移動速度は相対性理論に逆行して極端にスローリーになりました。車輪がレールを蹴る音だけが、どこか遠くで鳴っているように頭の中で反響して聞こえました。
 それは、大変に、困難なことですよ、とその男が言葉をゆっくりと区切りながら言いました。その言葉を噛み締めていたのかもしれません。あるいは、単純に年齢のせいで話すのが遅い方だったのかもしれません。
 私は、会社員を辞めるつもりなんて毛頭ない、ただ米を食うための仕事と、生涯を共にするべき仕事とははっきり分けて、どちらも手を抜かずに取り組んで参るのです、と胸を張って話しました。
 男は私の方を見ながら微笑みました。そして手を振りました。引き伸ばされていた車輪の音がまた緊縮し、全ての車両は一瞬で行き過ぎてしまいました。
 私はコーヒーショップに入り、飲食した代金を受け取りました。バッグの中からコーヒー豆の入ったパッケージを取り出し、店主の女性に渡しました。
 「ありがとうございました。また来てくださいね」と女性が言いました。
 私は窓際の席につき、これからは小説を書いていくことを決意しました。擦り切れるような毎日に飽きたので、何かを始めたいと考えていました。文章力には自信があったのです。小学生の頃から作文や論文では誰にも負けたことがありませんでした。また、今どきの若者には珍しく、小説を最初から最後まで読み通すだけの集中力も持ち合わせていました。
 薄い霧のように湯気が、コーヒーカップの中に落ちてきます。私はそれを見ながら、私の人生など、この湯気ほどの重力しか持ち合わせていないものかと思いました。湯気は揺れながら落ちていきました。あと幾つの揺れを経験すれば、それは濃くはっきりしたものに変わっていくでしょうか。それは落ちるたびに液体に熱をもたらしました。
 私はホットコーヒーを注文しました。
 「なんとか十年間、続けて来られました」とカウンターの向こうで、店主の女性が嬉しそうに言いました。
 「おめでとうございます」
 私は本当に祝福したい気持ちだったのです。そして、その時に自分の人生のことを考えました、この十年の間に起こったことをたくさん思い出しました。かけがえのない思い出で満ちているようにも感じられました。同時に、大したことなど何一つなかったかのようにも感じられました。
 「今日はこの店がオープンしてから十周年の記念日なんですよ」
 私は引き続き、道ゆく人々に逆行して進んでいきます。それは今日一日だけの話です。しかし、その間にさまざまなことを考えました。大きな決断を下しました。ただ、もしもこの先が全て逆行した場合には、全く悔いの残らないものではないということです。
 カフカはその遺志に逆らって作品をいくつも公開されたといいます。その時、作品は初めて作者の意思を離れて世に届き、初めて芸術となったのです。作者の自意識と切り離されない限り、芸術は芸術たり得ません。その意味で、存命の芸術家による芸術など、この世には何一つないのです。存命の芸術家による芸術とは、すなわち仕事のある一つの形態に他なりません。それらは他人にわかりやすい形で理解されて初めて価値を持ちます。”たまたま芸術の好きなものが、好きな芸術を職業とするような場合ですら、その芸術が職業となる瞬間において、真の精神生活はすでに汚されてしまうのは当然である。” 夏目漱石はこのように書きました。”芸術家としての彼は己れに篤き作品を自然の気乗りで作り上げようとするに反して、職業家としての彼は評判のよきもの、売高の多いものを公けにしなくてはならぬからである。” では私が今こなしている仕事と、所謂芸術作品を生産する人々の違いとは何でしょうか。道路や橋を作ることと、文学や音楽の作品を作ることと何が違うのでしょうか。それは個人の名前が大々的に取り上げられるのか、そうではないのかの違いです。私は名もなき人々のうちの一人として、名もなき人々たちの群れに逆らって歩きます。
 韓国料理屋の角を曲がりました。私は太陽の方向に歩いていきます。私はあらゆる言葉を駆使しながら、私が嫌いだったものに成り下がろうとしています。でも、それでいいのです。路側帯の緑色のペイントが私を祝福しています。私は歩き続けます。スニーカーの底に、路面のざらつきを微妙に感じます。名前のわからない鳥の鳴き声が聞こえます。遠くまで来すぎたシャボン玉が一つ、紫と緑の膜をくるくると回しながら、屋根を越えて子供たちの声のする方へ飛んでいきました。