ルカ・モドリッチ、名は体を表す?

ワールドカップのMVPがクロアチア代表のモドリッチに決まったようだ。しかしよく考えるとモドリッチっていう名前、可愛くないですか。クロアチア代表は”~ッチ”で終わる名前の選手が大半だ。そうでなくても、ベテランDFのチョルルカ(前回のワールドカップでは先発でセンターバックをしていた)とか、サイドバックのブルサリコ(ドラッグを売ってそうな顔をしている)とか、可愛い名前が多い気がして好きだ。あ、ぼくらのロブレンは別だ。

そういえば、一ヶ月くらい前にニューヨーク・タイムズに”なまえ”についての記事が載っていて、面白いと思って一部翻訳してみていたものがあった。それについて。

(以下引用、拙訳)

昨年の『人格と社会心理学ジャーナル』に掲載された研究では、研究者たちは被験者に見知らぬ人間の顔を見せ、その人の名前を4つの候補の中から予想してもらった。被験者が正しい名前を選ぶ確率はちょうど25パーセントになるはずだろう。しかし、被験者は38パーセントの確率で正しい名前を選んだ。研究者たちは8つの似た研究で同じような結果を得た。

疑っているあなたのために、こういう研究が”固有名詞学(onomastics)”という分野の一部であることを紹介しておこう。固有名詞学者はさまざまな学術分野で得た成果を活かして、”適切な”名前について研究している。彼らの研究結果の多くは目を引くものだ。(中略)

2002年の、これも『人格と社会心理学ジャーナル』の研究によると、ひとびとは自らの名前と似た住所や職業に自然と引き寄せられるそうだ。つまり”ルイス”という男は、”ルイス通り”にすむ確率が、少なくともいくらかは高まるし、多くの”デニス”が歯医者(dentist)になるわけだ。私、アーサーを作家(author)に引き寄せる邪悪な力が働いたなんて思ってもいなかったけど、そういうことだったんだね。

Opinion | Do You Like Your Name? – The New York Times

つまり名前というものは、その人の外見や選択に影響を与えるらしい。そういえば中学、高校時代を振り返ってみると、”シュン”がつく名前の同級生には、足が速くてスポーツ選手タイプが多かったような(あと顔もカッコよかった)、気が。

住所や職業の話は、行動に無意識的にはたらきかけているのかもしれないということで、まだわかる気もする。でも外見や特徴にまで影響を与えるというのは、もし本当ならすごいことだ。多くのトーマスさんが”トーマス顔”に育ち、そして周りの人だって”ウィリアム顔”や”エマ顔”を察知するということなのだから。子供に名前をつけるというのは、一般的に思われているよりさらに責任重大なことみたいだ。

名前と特徴の対応ということになれば思い出すのが、10年くらい前に流行った『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』という新書だ。映画に出てくる怪獣の名前には、たとえばゴジラとか、ガメラとか、濁点が入っていることが多い。”キツネ”は”タヌキ”よりズルそうなイメージがあるし、新幹線”ひかり”は”こだま”より速そうだ。それぞれの音にはイメージがあって、わりと多くの人がその感覚を共有できる、というのが確かこの本の内容だった。さまざまな名づけはそれに基づいて行われるのである。

これはどんな言語でも共通認識としてあって、たとえば世界のどんな場所でも、tやkの音は角ばったイメージ、mやnの音は丸まったイメージに結びつく、という話もある。これに関しては出典を覚えていないけれど。

こうなってくると、この感覚は、成長する過程で周囲に影響されるものではないんだろうと思う。ある特定の音の発し方が、先天的にある性質を想起させることにつながっている。バベルの塔が壊れる前の世界だって、なんだかありそうに思えてくる。

J.S.ミルの講演からの孫引きだが、「言葉は賢人にとっては現金代わりの数取り札であり、愚者にとっては貨幣である」という、ホッブスの格言がある。”本質”をあらわすたとえがそもそも”貨幣”なのでややこしいが、要するに言葉はただの道具であり、物事そのものではないということだ。でも、さっきまでの話を見ていると別の考え方ができるかもしれない。言葉はただアイデアを乗せる道具なのではなく、言葉自体、とくに音からくる特定のイメージが、それが乗せるアイデアに影響を与えるという考え方だ。昔からいわれている”ことだま”は、ある見方では、あながち迷信ではないのかもしれない。

ちなみにモドリッチは行動も可愛い。