田中啓介(以下田中):本日はお忙しいところお時間を取ってくださいましてありがとうございます。早速インタビューに移らせていただきます。今日は業界紙に載せるインタビューなのですが社長の人となりが伝わるような記事になるようにしていければいいなと思っています。
酒匂雄二氏(以下酒匂):よろしくお願いします。僕なんかの話でよければぜひ使ってください。
田中:まず小さなころの環境といいますか、育った環境みたいなところの話からお伺いできればと思うのですが。
酒匂:そうですね。工場の中の家で育ったので加工する音とか指示を出す声とか印象に残っていますね。父も母も忙しくしていて1人で家にいることが多かったのですがあまり寂しいと感じたことはなかったですね。
田中:音があったからですか?
酒匂;ええ。工場から出る音はいつも私のそばにありました。父はちょうど事業を拡大する時期に差しかかっていたのでほとんど顔も見なかったですが仕事に邁進する姿は格好よかったですね。
田中:そのころからすでにお父様の背中を追いかけてらっしゃったんですか?
酒匂:ははは。それがそういう訳でもないんですよね。全く違う業種を志していました。定職にも付かずにふらふらしていましたね。俺は俳優になるんだと言って。それでも親から仕送りは貰っていたのですから情けないものです。
田中:お父様は応援してらっしゃったんですか?
酒匂:勘当だ!と怒鳴れたのを覚えています。怒鳴られたのですがなんだかんだで仕送りは続いていましたので縁が切れたというわけではないです。それで私が30歳になったときにこれではいかんと父に頭を下げにいきました。
田中:俳優を志していた経験は今に生きていますか?
酒匂:はっきりいって生きてはいませんね。ただ遊んでいただけですから。あの時間がなければもっと早く社長として父である会長の右腕として働くことができていました。悔やんでも悔やみきれません。ただこんなことを言っても悲しいだけなのであの時の経験は僕の糧になっているとなるべく言うようにしています(笑)。演技力は営業力とか、よくわからない理屈をつけてよく話してました。これをこじつけ力だと言ったりしてね(笑)。
田中:そうなんですね。入社してすぐはどういう仕事をされていたのですが?
酒匂:ちょうど海外に工場をつくるぞという時期でしたのでそこで結果を出してくるようにいわれていましたね。
田中:海外ですか。どちらに行かれていたのですか。
酒匂:ベトナムですね。
田中:結果を出すためにどのようなことに取り組まれたのですか。
酒匂:実はあまりがんばれていないんですよね。一緒にいった部長が大体の仕事をこなしてくれていましたし。それに気候とか食事とか全然合わなかったからしんどかったんですよね。
田中:それは大変でしたね。そこからどう社長へとつながったのでしょうか。
酒匂:父が私に継がせたい意向でしたので。父と一緒に会社を大きくしてくれた恩人のような人たちが2人ほどいるのですが、その人たちは大反対でしたね(笑)。私が社長になってから2人ともやめていかれました。
田中:それでも業績自体は上向きですね。
酒匂:そうですね。思いのほかうまく行っていますね。もともとが大きな会社ですから後はその舵取りをどううまくこなすかです。変えるところはしっかりと変えて守るべきところはしっかりと守る。
田中:守るべきところはどんなところでしたか?
酒匂:社員のみんなですね。私自身、失敗ばかりの人生でしたから。そういうなんにでも挑戦できる環境というのを整えてあげたいのです。帰るべきところがあれば人間がんばれるものでしょう?
田中:そういう社長のお考えが会社の福利厚生をしっかり整えていかれてるのですね。
酒匂:すいません。ちょっとお手洗いに。
酒匂がトイレにいくと席を外したところで煙草に咥える。待ってましたとばかりにとなりに座ったキャバ嬢が火を着ける。ミニスカートに谷間を強調したドレスを着た20代前半の女だ。顔は化粧でよくわからないが間違いなくスタイルがいい。インタビューの間も邪魔にならないように立ち回っていた仕事のできる嬢だ。
「大変ですね」
「仕事ですから」
こういうときに労いの言葉をかけるのも仕事ができる証拠だ。ただ僕は煙草が吸いたかっただけなのでスマホを取り出して意味もなくLINEを開いては閉じた。1人になりたいと思うことが多い僕にとってわざわざ人とコミュニケーションを取りにくるこの場所は何とも奇妙なものに思えた。
接待も兼ねた今回のインタビューは多分うまくいっている。酒匂は業界にかなり顔が利く。というのも酒匂の作っている半導体なんちゃらがないとIT産業は成り立たないと言われているからだ。酒匂は酒匂でも会長の方ではあるのだが。そういう理由で失敗は許されていなかったので一安心だ。
酒匂の飲み方はかなり汚かった。隣に座った嬢の胸を揉みしだきながらの受け応えだったし内容も脳内でかなりの添削を加えた。嬢たちには事前に多めのチップを渡しておいて助かった。
僕はチェックをするために離れたところにいるボーイを呼ぶ。少し背が低いなと思っていたが近づいてくると女であることがわかる。黒い髪を後ろで束ねて白い額が丸見えになっている。化粧っ気はないが赤いルージュをまっすぐに引いている。この場合はボーイと呼べばいいのかなんのかわからない。とりあえず用件だけを伝える。
「チェックで」
「かしこまりました」
女のボーイはそう言って伝票を持ってくる。中身を確認すると30万近い請求になっていた。VIPルームも使ったし酒も入れたい放題だったので妥当な額だろう。会社の金だし痛くも痒くもない。
酒匂に支払っているところを見られても面倒なのでボーイといっしょにカウンターへと向かう。黒と金で構成されたきらびやかなカウンターの前でスーツの内ポケットから封筒を取り出す。会社から接待費に使えと渡されていた現ナマで支払う。
「領収書ください」
「はい」
女はそう言って領収書を書き始める。
「お名前はいかがいたしますか」
「こっちで書きます」
領収書を受け取ろうとするとしまったという顔をして戻す。なんだろうと思っていると女はカウンターの下から切手を取り出した。切手だと思ったが状況を考えればそれが収入印紙なことに思い至る。女はそれを小さなピンク色の舌で舐めて貼った。