プロムナード

 マクドナルドでドライブスルーをすることになったのは隣に座っているキョウコの提案だった。
 僕たちはトヨタの使い込まれたプロボックスに乗っていた。今月から自分の営業アシスタントになったキョウコに仕事を教えながら顔を見せて回っているところだ。ルート営業なので新規開拓をする必要はなく御用聞きさえできれば問題なくこなせる仕事だった。それにキョウコは要領がよかったので仕事の覚えもよかった。
「田舎ってご飯を食べるとこの選択肢も少なくて困っちゃいますよね」
 そう言って笑うキョウコは人目をひく美人であった。写真だけで見ればパーツパーツのバランスは決して良くないのだろうがふとした仕草や表情が人を惹きつけた。愛嬌もある。年寄相手の商売なのでキョウコの営業成績は恐らく自分を超えてくるだろうと思っている。
 僕らが寄ったのは大きな国道沿いにあるマクドナルドだった。昼飯時なのもあって長い車の列に並ぶ。店内の客よりもドライブスルーで利用する客の方が多そうな店だ。こう見るとマクドナルドの本来あるべき姿のようにも見えてくる。
「私、モス派なんですよね」
「もう少し走ればあったよ」
「そうなんですか。早く言えばよかったです」
 キョウコはオーバーなリアクションで悲しがる。ちゃんと反応してくれる後輩はとてもやりやすかった。戻るかとバックミラーを覗くがすでにもう何台か後ろについてしまっている。
「ハヤマさんはマクドナルド好きなんですか?」
「普通だよ。食えればなんでもいいや」
「平日の昼食何てかきこんじゃって終わりですもんね」
「定時で帰れる分、日中が詰まっちゃってるから」
 キョウコと当たり障りのない会話をしていると注文口まで車が到達する。僕らはタブルチーズバーガーのセットを頼んだ。サイドは2人ともポテトのМでドリンクはアイスコーヒーのМだった。
 次の顧客のところへと車を走らせながら社内でチーズバーガーを食べる。キョウコは細かいところに気が付くのでこちらが運転している食べるタイミングに合わせて食べている。
それに気が付くと何だかおかしくなって笑ってしまう。
「好きなタイミングで食べなよ」
「あれ、気づいてました?なんか申し訳なくて」
「たぶん僕の食べるスピードの方が速いし」
「それじゃあお言葉に甘えて。ポテト、私が食べさせてあげましょうか?」
 キョウコが冗談めかしてポテトを掲げている。
「いや、セクハラで訴えられたらかなわないから」
「私、気にしないし、訴えたりしませんよ」
「ポテトを食べさせるくらいならね。君と仲良くなったと思った僕からの要求がどんどんエスカレートするかもしれないだろ?」
「ペニスを握れとかですか?」
「まぁ、そういうことだよ」
 僕は同僚が急にペニスと言ったことに動揺するがキョウコはポテトを食べている。同僚がペニスで会話を締めくくったときにどうやって展開させればいいか知らなかった。キョウコの方は気にしていないようだが、そもそもセクハラなんて言いだしのは僕だし僕が悪いのか?いや、からかってきたのはあっちが先だが僕の証言なんてほとんど意味がないようなものだ。社内にはマクドナルド独特の油の匂いが充満していた。
「ハヤマさんはモス派ですか?マック派ですか?」
 キョウコが気をつかって話題を変えてくれる。
「うーん、バーキンかな」
「バーキン?ブランドバッグのですか?」
「いやいやバーガーキングのことだよ」
「あ、そっちですね。急に鞄の話をし始めたから驚いちゃいましたよ」
 そう言ってけらけら笑っている。
 僕はよく好きなハンバーガーチェーンの話になったときにバーガーキングの名前を出す。名前は出すが僕が今住んでいる地方都市にはバーガーキングはない。最後に食べたのはいつだろうか。もう3年も前になるような気がしてきた。あのころはまだ東京に住んでいて小説を書けていた。


 今日はバーキンを食べよう。そう決めた。近所のふかやは家で食っても変わらない(グーグルマップの評価は4.2だ。どうかしている)。暁は昼間はやっていない。サワディーナマステも悪くはないが気分を変えたい。そうなると僕の選択肢はバーキン一択だった。
 金はないので歩いていくことにした。2時間弱歩くが僕には持て余すくらいの時間がある。ほとんど西武多摩川線に沿って歩いていく。郊外の景色はひどいくらいに代わり映えがしない。競艇場は競艇場だとしらないとフェンスに囲まれていてなんなのか分からない。結局、競艇場にはいかなかった。ファンファーレを聞きながら発券機の前に立ってみたかった。
 同じような住宅がみっしり詰まっている住宅街を見ていると均質で均等に行き渡っているように思える。豊かな国なのだと思う。1時間歩いても同じ景色が続いているのはどうかしている。モンゴルに行ったときは掘っ立て小屋が集まったところを30分歩いたときにこれがずっと続くのかと思ったが、日本の同じ景色がずっと続くことに比べれば可愛いものだった。モンゴルは30分も歩けば平原に出れたのに。僕には現状よりいい方法があるのかと言われれば分からないし知らない。ただ嫌だから嫌だと言っている小さな子供と変わらない。僕もちゃんと働いてあの小さな家を買えれば少なくとも方向性に文句がなくなるのだろうか。生きていくのにペイしないといけないものが多すぎる。ただ僕が社会にフリーライドしていることへの罪悪感が消えるのはよくないことなのだと思う。僕は社会の恩恵を十二分に受け取っている。水も電気もネットも僕は使っている。なくてもいいかなと思うけど。僕の能力のキャパが狭いので見合ってないなと思ってしまう。
 西武多摩川線はまだましな方だ。景色が変わるタイミングが教育機関に道が接するときに訪れる。東京外国語大学や国際基督教大学とか警察大学校などだ。国際基督教大学の何のためにこんなに広いスペースをとっているのか分からない緑地がある。地方の大学に進学するときにその大学って日本でいちばん敷地が狭いんだってと言われたのを思い出した。進学する大学を決めるのに敷地面積を参考にしている奴がいるのに驚いた。僕が敷地面積が狭いならやめとこうかなとなると考えたのだろうか。なんかもっと調べることあったろと思った。僕は勉強も嫌いだったし実家からなるべく遠くに行きたかったから行けるとこに行っただけだ。文系の方が好きだったが大学で勉強することないなと思って理系にした。国際基督教大学のイギリス式っぽい庭園の手入れの仕方は好感が持てる。自国の文化より他国の文化を担保しているのはどうかとも思うがそもそもキリスト教の大学だ。密度の高い住宅街の向かい側では白人が芝生の上で寝転がっている。敷地面積を気にする奴もいるから大学の面積はなるべく広い方がいい。
 だいたいこの辺りで電車に乗ればよかったと思い始める。ここまで来てしまうとそれはもうできない。最寄りの駅から乗ってもいいがそれは圧倒的敗北だ。何にも負けていないが負けたと感じてしまう。そういうよくわからないものに支配されながら生きている。
 少し坂を上るとまた郊外の景色が帰ってくる。こうなればバーキンまではあと少しだ。僕はバーキンではワッパーチーズのセットしか頼まない。サイドはポテトでドリンクはコーラだ。これが一番うまい。もう口の中はバーキンの店内にいる。2時間弱も歩いていると疲れてくるがこれで数百円浮くなら安いものだ。
 さすがに中央線に近づくにつれて道も活気が出てくる。猪を解剖したときの血管の配置を思い出した。公園も親子連れや年寄りでにぎわっている。解剖した雌の猪の腹の中にまだまだ小さな瓜坊がいた。あれはどうしたんだっけか。水色のポリバケツに放り込んだような気もするし、一緒に解剖したような気もする。
 駅に隣接してある商業施設のようなところにバーキンがある。その正面には武蔵野プラザがある。この建物は星新一の小説の挿絵みたいな見た目をしている。四角い建物に楕円の窓が付いている。昭和のSFに出てくるような野暮ったさがある。図書館の書架を窓の下から見上げたが一度も中には入らなかった。武蔵野プラザの前には広場があって子供連れや乳母車(シルバーカーというらしい。かっこよすぎるので却下だ)を押している年寄りでにぎわう。僕はそれを横目に見ながらバーキンに入る。
 バーキンの店員は若い女の子で多分バイトの女子大生だ。黒い髪をひとまとめにしてサンバイザーを被っている。注文を気持ちよく取ってくれる。もちろんワッパーチーズのセット。ポテトでコーラだ。金はないが支払いはクレジットカードがある。来月の自分がなんとか金を工面するのだ。前倒し前倒しで、倒す未来がなくなってしまったらこの支払はどうなってしまうのかと思うとおっかないが仕方ない。死んでしまっては自分のケツも自分で拭けない。終わりだ。店で食う。なるべく窓から遠い方がいい。ジジイやババアの顔を見ながら食ったっていいことない。さっきの店員が僕の前に紙に包まれたバーガーとポテト、コーラの完璧な3点セットを運んでくる。僕はこの瞬間のために社会に属していると思う。これがあれば大抵のことはどうとでもなる。僕の社会への不満なんてその程度のものだ。僕はバーガーの包み紙を外す。


 車内でここまでしか思い出せないことに気が付く。きっとあの後、僕はバーガーを食べてポテトをコーラで流し込んだはずだ。けどどんな味だったとかおいしかったとかそんな簡単なことも思い出せなくなってしまっていた。
 あの日のあと、結局僕は田舎に引っ込んでコピー機の営業として働きはじめた。それから忙しくしていてバーキンは食べていない。もう3年も経つのか。嫌なことを思い出した。ため息が出る。窓の外には似たような建売住宅が並んでいる。
 隣ではキョウコが長い指に付いた塩をなめとっている。サンゴ色のネイルがよく似合っている。
「なめます?」
 僕の視線に気が付いたのかそう言って指を差し出してくる。
「いや、やめとくよ」
「ペニスをなめさせるようになるからですか?」
「そういうことだね」
 キョウコがまたおかしそうにけらけら笑っている。酒でも飲んでいるのかと思ったがそのくらいでないとこの街ではやっていけないだろう。
 僕はもうバーキンは食べられないのかもしれないと思った。