晴れがいいねと言われても

 首からぶら下げたバインダーがずしりと重い。嫌味なほど雲一つない快晴。街は人でごった返しているが俺のことを見てくれる人はいない。やけっぱちで声を張り上げ始めたのが2時間くらい前だがもう喉は限界でこれ以上出る気もしない。

「明日の天気は何にいたしましょう!?」

 派遣のバイトで街頭アンケートを取っている。人類のテクノロジーは自然に打ち勝って、遂に天気を支配するまでになった。明日のお天気だって思うがままだ。そんなテクノロジーが発達しているのに天気はアンケートで決めて、そのアンケートを取っているのはバイトだ。

「おい!明日は晴れだ!晴れしかないからな!」

 稀に背広を着た40代くらいのサラリーマンがこうして声を掛けてくることがある。

「かしこまりました!それではこちらにお名前と個人番号の記載を…」

「そんな暇があるか!社会人はお前と違って忙しいんだ!」

 そう怒鳴りつけてサラリーマンは足早に人込みに紛れる。

 今日は1件もアンケートが取れていない。このまま帰ったらまた派遣の元請けに怒られる。ねちねちと粘着質な30代くらいの男で正直苦手だ。小さなミスを見つけて怒鳴りつけてくる奴だから1件もないとなったら嬉々として不機嫌になるだろう。この間なんて必死の思いで取ってきた魂の1件を記載方法が気に食わないという理由で握りつぶしたときは正気を疑った。こいつの奥さんが出ていったらしいと聞いたときはそりゃそうだと配偶者の素晴らしい判断に拍手を送った。

 朝からずっと立ちっぱなしなので脚がむくんできて嫌になる。なんで俺ばっかりこんな目に遭わないといけないんだ。

 前から歩いてくる高そうなスーツを着た同年代くらいのベリーショート女と目が合う。手を振りながら笑顔で歩いてくるのを見てようやく知り合いなことに気が付く。

「なにしてんの。死にそうな顔して」

 俺はバインダーを女に突き出す。

「天気アンケート?あんたこんなバイトしてたの。いい歳してバイトってあんた。別れて正解だったわね。それにしたって定職に着かないってことがどれだけ損なことなのかわかってるの?」

 元カノはアンケート用紙への記入を進めながら唾をまき散らしてまくし立てる。馴染みのある文字で名前、住所、連絡先、個人番号を書き入れている。

「そりゃ若いうちはそれで楽しいでしょうけど歳取ったときのことも考えときなさいよね。国民年金だけじゃ老後の生活はままならないんだから。厚生年金もあってやっとよ?どうせ国民年金すら納めてないんでしょ?そんなんでどうやって生きていくつもりなのよ」

 元カノはこちらには一瞥もくれずにそう言い終えると同時に記入も最後の設問だ。

「それでは明日の天気はどういたしましょうか?」

「やけに他人行儀じゃない。そりゃ晴れがいいわね。雨は面倒臭くて駄目ね」

 そう言って元カノは角ばった字で“晴れ”と記入した。スーツの襟にはSDGsのカラフルなバッジを付けている。旧財閥系の商社に勤めていて腕に下げた鞄もブランド物で高そうだ。

「いつでも私が下請けに口をきいてあげるから」

 僕の返答を待たずに続ける。

「仕事よ、仕事。こんなバイトしてるなんて生活のレベルもたかが知れてるでしょう?。私が恩を売ってる下請けなんていくらでもあるんだから。あんた1人くらいすぐ働かせてくれるわ。絶対に今の生活よりもマシよ」

 元カノからボールペンを返してもらう。

「本当に駄目な人ね。すぐ黙っちゃって」

 返してもらった黒いボールペンのキャップを午前中の内に無くしてしまっていたのを思いだす。ねちねち派遣の元請けにまた怒られてしまう。

 僕は元カノの右目にボールペンを突き刺す。キャップにしてはでかいが問題ないだろう。悲鳴が街中に響く。うるさいのでバインダーで顎のあたりを思い切り張る。サッカー選手みたいに大げさに女が倒れた。地面に這いつくばってもまだ黙らないので馬乗りになって何度か拳を顔面に叩き込む。しばらくうるさかったが俺の手が痛くなるころにはうめくだけになっていた。いつも自慢していた高い鼻も今じゃ頬なのかおでこなのか判別つかない。自分で色白だと言っていた肌もはれ上がって汚い赤紫色だ。もう何発か殴ったところでうめき声も止む。

「残念!!!!明日の天気は雨です!!!!」

 僕の発言におしゃべりな彼女が何も言わないということは同意してくれたのだろう。

 気分がいいところに誰かの手が肩に置かれる。

「それは困る。明日の天気は晴れにしてくれ」

 振り返るとスーツを着た中年サラリーマンが真剣そうな顔で立っている。ボールペンのキャップを外してバインダーと一緒に手渡す。

「それではこちらにお名前と…」

「面倒だし、暇じゃないんだ。そっちでやっといてくれよ」

 サラリーマンはそのまま立ち去ろうとする。僕はサラリーマンのネクタイを掴んで歩道に頭を叩きつける。サラリーマンは短い悲鳴を上げてうずくまった。僕は彼女から離れて男の頭を握る。そのまま歩道と車道の境界ブロックに打ち下ろす。どんな顔をしているかと思って覗き込むとおでこがぱっかり割れて血がダラダラと垂れている。目が合うが気持ち悪いのでネクタイで首を絞めることにした。こんな物騒なもんを付けて歩いているなんて正気の沙汰じゃないな。しばらく締めていると顔が鬱血してどんどん紫色になっていく。元カノとは違う色だ。世界はグラデーションで出来ているのだという真理に気が付く。

 サラリーマンの紫をしばらく眺めていると動かなくなってしまった。地面に投げると息のうるさい音もしなくなっている。頭を思い切り蹴ると変な方向に曲がった。

「明日は雨です!!!!!晴れではありません!!!!」

 男も何も言わない。1日で2人も雨を希望する人に出会うなんてこの仕事をしていて初めてのことだし、これから先もこんな奇跡に出会うことはないだろう。

 後ろから派遣の元請けねちねち上司の何をしてるんだという嬉しそうな怒号が聞こえてきた。今日は2件もアンケートを取れたし、しかも晴れじゃなくて雨だし、何よりボールペンのキャップも無くさなかった。怒られる要素は一つもないはずだ。

「お前、何してるんだ」

「聞いてくださいよ。今日は2件も取れたんです!しかもどっちも雨ですよ。すごくないですか?」

 そう言ってアンケートを渡すと、元受けは鼻で笑ってバインダーを地面に叩きつけた。

「雨は面倒だろうが。晴れにしてこい。馬鹿野郎。それにお前ボールペンのキャップ無くしてんじゃねぇか。本当に使えねぇな」

「いや無くしてないです。ほら」

 僕はボールペンにキャップを付けて見せるが元請けは取り合ってくれない。

「いいか。晴れのアンケートをあと3件取ってこないとお前のことをクビにしてやるからな。わかったらさっさと働けグズ」

 俺よりも頭1つ分背の高い元請けのネクタイは紺色だ。これは締めてもらうために着けているのだという先ほどの真理に則って掴んだ。ねちねち元請けは俺の手を払って逃げようとするので、ボールペンを右目に突き刺した。こっちの方がしっくりくることに気が付いて元請けが怒っていたことにも合点がいった。キャップならなんでもいいという訳ではなかったのだ。逃げる気力もなくなったようでその場でうずくまるものだからお腹の辺りに蹴りを入れると今度は這いつくばってうめきだした。うるさいので覆いかぶさってネクタイで首を絞める。いい眺めだったが力を入れすぎたせいでネクタイがちぎれてしまった。安物を使いやがって。長さが足りないので首を絞められない。僕は大人なのでイライラしても冷静に改善策を立てることが出来る。すぐにグッドなアイデアを思いついて自分の才能に震えた。近くに街路樹をライトアップするための低いライトが地面に突き刺さっているのをバインダーで叩き割る。ガラスの破片のなかで手ごろなのを見つけてねちねち元請けの腹に突き立てる。固くて意外と刺さらない。しかも元請けの暴れ方が激しくなるので大人しくさせるために今までもよりもずっと強く殴りつけないといけなかった。ガラスを何枚もつかってようやく元請けの腸を引きずり出すことに成功する。長さも申し分ない。これで首を絞めてやろうとしたころには元請けはもうすっかり静かになっていたので蝶ネクタイ風に結んでやる。身だしなみにもうるさかったやつだから満足だろう。

「明日の天気は絶対に雨です!!!!!!」

 雨のアンケートを3件も集めたんだ。絶対に俺が今週の実績TOPになっているはずだ。珍しく気分がいいのでもう少しだけアンケートを取っていくことにした。どんなに理不尽な場所でも俺は自分が一番つらいなんて考えずに仕事をやり遂げるのだ。

〈終〉