狩猟にカセット

 スマートウォッチのモニターの5つの光が点滅しながらその円弧を狭める。鈍い色の空を見上げてしばらく待っているとドローンの羽音が耳に入ってきた。そろそろ追い立てられた鹿が視界に入ってくる頃合いだ。視覚情報を転送させることもできるが狩りの匂いを損なうような気がしてドローンの位置情報だけ把握するようにしている。ランデブーポイントに設定した杉山の林床は低い笹で覆われている。あとは遠くの笹が揺れる場所に気を張っていればいいだけだ。この山は冬の時期、全く風が吹かない。俺は肩に掛けていた麻酔銃を両手にとって見つめる。狩猟における実弾の使用が禁止されてからどれくらい経つだろうか。この国ではテロリストは実弾で死ぬが野生鳥獣が弾丸で命を奪われることはない。動物の権利を守ると言った徳川将軍もいたが、それから何百年たった現代において動物の権利にはさらに重きが置かれた。畜産は廃止されたし愛玩動物もいない。野生動物だけが生存を許されている。畜産は廃止されたが食肉文化が完全になくなったわけではない。合法で肉が食べられるのは表向きにはこの俺が従事している国立公園での狩猟で手に入るジビエだけとされる。ただ肉の味を忘れられない人間は多く、違法で肉が流通している。今ではヤクザのしのぎは薬ではなく肉になっているから皮肉なものだ。畜産を営んでいるヤクザもいれば、勝手に山で狩猟を行うヤクザもいる。人間に育てられなくなった犬、鶏、豚や牛はその数を急激に減らした。

 笹が揺れるのが視界に入り、かじかんだ指に息を吹きかけて麻酔銃を構える。鹿の頭がぴょんぴょんと跳ねている。もう少しひきつけると成功率があがるとAIは助言してくるが俺は標準を合わせて引き金を引く。倒れる音がして笹の揺れが無くなる。麻酔銃を背負い直しながらポーチから鹿を安楽死させるためのカセットを取り出す。はっきり言って鹿は麻酔銃を撃ち込まれた時点で死んでしまっていることが多い。このカセットは意味がないが事務所に戻った後で死体の数と使用済みカセットの数が合わないと懲戒免職だ。動物がどうやって死ぬかはお偉い方には関係のない話なのだ。世間が自分の手は汚れていないのだという安心感だけを求めたのがこの安楽死カセットなのである。

 倒れている鹿は恐らく既に死んでいる。俺は両手を合わせて山の女神に祈りを捧げる。

「本日もお恵みをありがとうございます」

 鹿の首元にカセットの針を突き立てる。空気が抜けるような音がしてカセットから薬が鹿の中へと入っていった。俺はカセットをポーチに入れたことを確認してドローンに集合命令を出す。5台のドローンが俺の頭上に集まる。鬱蒼とした杉林でも安定した飛行をしているから人間が狩りをする必要があるのかと不思議になる。腰からロープを取り出して鹿の後ろ足を縛る。こちらが作業している間にドローンは連結してブレードの長さを増して推進力をあげる。鹿を縛ったロープの先をドローンにくくりつけて帰還命令を出す。雄蜂はさらに馬力をあげて大きな音で上空へと昇っていった。ドローンは鹿を山の麓の事務所まで運んでいく。

 俺は事務所までは徒歩移動だ。今年の冬は暖かくて雪はまだ降っていない。野生鳥獣たちも活発に活動している。生態ピラミッドの頂点にいた狼は人間が狩り尽くして既に絶滅してしまっている。そのせいで鹿や猪は増えていく一方だ。鹿や猪が増えればピラミッドの下層の植物は食べつくされるということだ。何かがその数の増加を抑えなくてはいけない。人が狼を狩り尽くした時点でその泥を被ることは覚悟しなくてはいけなかったはずだが世論というものは変わりゆくものだ。近くの植物プラントに食害をもたらす鹿や猪を狩る。それでもなお根強いかわいそうだという圧倒的な世論のだけのために、俺は麻酔銃とカセットを持って業務にあたっている。

 スマートウォッチが警告アラートは鳴らす。見るとドローンが墜落してしまったようだ。位置はここから少し歩いたところだ。俺はまた麻酔銃を構え直す。ドローンが何かにぶつかることや整備不良はありえない。考えられるのは第三者による獲物の横取りだ。最近、ほかの国立公園でも輸送中のドローンを狙った窃盗が多く報告されてきている。このあたりではまだ被害が出ていなかったのだがついに来たかとあたりを見渡しながらドローンが信号を発している場所へと急いだ。

 ドローンは最近檜の皆伐のあった開けた斜面に落ちていた。ただ括り付けていた鹿はどこにもいなかった。もう何者かが持ち去ったあとのようだ。開けているここは空飛ぶ獲物を撃ち落とすには最適な場所だ。麻酔銃を構えながら周囲の状況を探るが特に変わった様子はない。ただ引きずったような跡が谷の暗い杉林の方へと続いている。わざわざ逃げにくい方へと行くのは一度隠してまた取りにくる算段なのだろうか。深追いはこちらの身に危険が及ぶ可能性があるがみすみす見逃すのは腹がたったので跡を辿った。

 引きずった跡は谷川の淵で消えていた。水面でドローンを使って獲物を回収したのだろうか。杉の葉の積もった川渕から水面を眺めると不自然に流れが変わっているところがあるのに気が付く。足元にある石をそこへ投げ込む。石はすぐに流れへと消えた。ややあって肩に重い衝撃が走る。押さえてうずくまると足元にさっき投げたはずの石が転がっている。どうしてだと川の方をみると目があった。ねっとりとした緑色の肌に光沢のある黒目がこちらを見ている。俺は慌てて麻酔銃を構えた。この川は人が潜れるほどの深さはないはずだ。あれはなんだ。明らかに人間でないことがわかる。それはゆっくりこちらへと動いてきた。俺は麻酔銃をそいつに撃ち込む。しかし、それは甲高い声をあげると簡単に避けてしまった。明らかに知能のある動きをしている。水からあがったそいつは全身が緑色で明らかに昔話に出てくる河童の風貌だ。黒目しかない瞳でこちらをじっと見つめてきている。俺は麻酔銃の銃口を下げる。何かを伝えようとしてきているのかと覗き込んでいるとその刹那、視界が揺らぐ。気が付くと河童に足を取られていつの間にか地面に倒れてしまっている。すごい力で川の中に引きずり込まれた。冷たい水がウェアの中に入ってきてすぐに下半身の感覚がなくなる。河童が体にまとわりついてきて水かきが首筋に力を入れてくるのがわかる。ついに顔まで水の中に浸かってしまった。水面から顔を出そうともがくが河童の力は強くてそれも許してくれない。もがいているうちに肺の中に水が入ってきた。俺はポーチの中に手を突っ込んでカセットを掴む。それを河童に突き刺すと甲高い悲鳴が聞こえて押さえつける力が弱くなる。浮上しようともがくが水で満たされた肺には浮力も残されておらず沈んでいく一方だ。カセットだけが俺の手を離れて水面へと向かって浮上していく。一緒に沈んでいく河童を横目で眺めながら意識が遠くなるのを感じた。

〈終〉