天国

 眠るのにも起きているのにも中途半端な時間だった。辺りの景色は白みを帯びはじめている。薄手の長袖を着ているが少し肌寒い。春の初めだが昼間はすっかり暑くなってしまう。生活しすい時間は今だけだ。周囲を山に囲まれた圧迫感のある地形は東京で温められた空気も囲いこんだ。ベランダに出て煙草を吸いながら夏草の茂り始めた空地を見ている。仕事には行かないといけない。徹夜だというのに。目の間の空地には特に面白いものがあるわけではない。煙草を吸う時に見ている景色というのは何もなくともじっと見てしまう。この空地は四方を建物に囲まれている。僕から見て左手には廃アパートがある。時々柄の悪そうな奴らに肩を掴まれた生気のない男が連れ込まれていることがある。右手には工場がある。何の工場なのか未だに知らないが煙も音も何も出さない工場だ。正面にはファミリー向けの低層マンションがあった。昼間の屋上では子供たちがはしゃぎ声をあげながら控えめなサッカーをしているが今は静かだ。これらの建物と僕が住んでいる建物と合わせて4つの建物に囲まれている。この空地には特に用途のようなものは感じられないただ放っておかれているそんな感じだ。決して土地の価格が安い場所ではないので何かしらつくればそれなりに活用できるはずだった。四方が囲まれてしまっているとは言えそんなことはどうとでもなる問題のはずであった。煙草を吸いきる前に日はもう登り切ろうとしていた。僕は仕事にいく準備を始めた。温度調整の厄介なシャワーを浴びてスーツに着替えた。朝食はとらないタイプだ。コーヒーは飲めれば嬉しいが手間の方が勝手しまっている。僕が玄関で革靴を履こうとすると僕の背後に計り知れない違和感を抱いた。このときにはそれが何なのかまったく見当がつかなかったが僕の背中は鳥肌が立っていてどうしようもなかった。僕はこの違和感の正体を付け止めなくてはならないと思った。仕事なんて途端にどうでもよくなった。違和感は明らかに僕の背後、部屋の方からしていた。僕は音がないことに気が付いた。無音の世界だ。僕は部屋の中を隅々まで見て回ったがこれという原因は全く見つからなかった。小さなベランダに続く窓が真っ白に光っていることに家の中を見て回ってから気が付いた。こういうことってよくあるのだ。明らかにそれがおかしいと思われる要素でもその他のいつも通りのものを確認してからでないとそのおかしい要素に気が付くことができないのだ。僕は恐る恐る窓を開けると空地が神々しい光に包まれていた。そこはまるで天国や極楽浄土、そう言った類のものに思えた。この時の僕は生まれて初めて使命感のようなものに襲われていた。そうだ、アフリカをつくろう。
 そう思った僕の行動は早かった。スーツのまま、鎌を持って――なぜか靴箱に入っていた――空地に降り立っていた。僕のアフリカのイメージは砂漠だった。砂漠だったのでとりあえず日本に生えている草木は全てなくしてしまわないといけないと思った。かなり広いが何となするしかない。いちばんの強敵は空地の南側に生えた大きな金木犀である。草はまだ春先だったので伸び初めでまたなんとかなりそうだった。使命を帯びた僕には大した問題になる量ではなかった。すっかり草を刈り終わったあとで僕は自室に戻って水道水を鯨のように飲んだ。ベランダに出て空地を見ながら一服していると空地はすっかりアフリカナイズされていた。刈って放っておいた草もなぜかいつの間にかなくなっている。砂漠は砂だけだと思っていたが石や岩がごろごろとしていてこんなものかと思う。大きな音がして何かと思うと金木犀が倒れていた。空気を読んで倒れてくれたのだろう。これが日本の心、譲り合いの精神だと感心していると断面の紋様に散り際の美しさをみた。これがアフリカかと思ったがまだ僕の背中の違和感は拭いとることができていなかった。完成しているわけではないのだ。僕は砂漠を見ていてその理由がはっきりとわかった。昼間は熱いし夜は寒すぎた。これではなんの植物も動物も生きていくことは叶わない。僕のアフリカはもっと生命に満ち溢れていていなくてはいけない。これでは寂しすぎる。僕が落ち込んでいると左手の廃墟から空地を見ている女がいることに気が付く。金髪で胸が大きくて何よりも全裸なエッチなギャルだった。そのギャルは僕と目が合ったかと思うとしゃがんだ。水の音がし始めて雨が降り始めたのかと思ったがギャルが放尿している音だった。エッチなギャルどうかしている。僕は風に散らされて空地に降りかかるギャルの尿を見ていた。ギャルはすっかり出し終えてしまうと廃墟の中に戻っていった。
 僕が空地に目を戻すと空地の南側にはすっかり植物が生い茂っていた。植物には詳しくはないが近くではあまり見かけることのない植物たちだった。これも全て僕の使命のために引き起こされたことなのだ。一度行動を起こせばすぐに次の出来事は起こる。確かに驚きはするがま行の次にはもうや行が来ていることの驚きのようなものだ。森と言ってもいいだろう植物群たちの中では鳥やゴリラが闊歩していた。このとき僕はうっかりしていて煙草の灰を落としてしまった。その火は瞬く間に森を焼き尽くしていった。僕は慌てて風呂桶で汲んだ水を掛けたが中央のところに少ししか森は残らなかった。これは大変なことをしてしまったと自分が嫌になってしまう。だが湿った下半分にも控えめに植物が生え始めている。それを食べにガゼルいてカバが泳ぎ始めていた。僕は生まれて初めてライオンを見た。上から見ていると猫と変わらないが下に降りたときが楽しみである。僕は手近に生えている植物の匂いを嗅いで茎のままかじる。ここで育てた米を炊く。魚はいくらでもとれた。スパイスになる植物もなんとなくわかってきたのでそれをよく混ぜて魚と煮た。塩で味付けを整えたかったが塩の調達には難儀した。それでも塩の場所は動物たちが教えてくれた。魚飯は僕の中の定番料理の1つになっていた。昼間は暑かったので木陰で昼寝をした。活動するのは涼しい朝と夕方の内だ。過ごしやすい時間が増えてよかった。夜は冷えたが火を絶やさなかった。名前は知らないが夜行性のネコ科の大型肉食獣に出くわすが火を炊いているとこちらをじっと見てくるだけで襲いかかってはこなかった。アフリカの星はとても澄んでよく見えた。星座はよくわからなかったので勝手に自分でつくって遊んだ。よく眠れるようになっていた。明日は塩の調達にいく予定だった。早めに寝て明日に備えなくてはいけないと考えるよりも先に僕はよく眠っていた。