SNS上で殺気立ってどうする?

SNSが殺気立っている。

世界中が大変なことになっているのにもかかわらず、日本はいまだ強制力のある対策がなされていない。不要不急の外出をなるべく控えろといわれているにもかかわらず、街に人が溢れている。「今は我慢するべき時だろ、なぜできない?」「日本政府もさっさと最低限の外出以外禁止にするべきだ」「自粛期間中なのになんでこの店は開いてるんですか?」「なんでこのイベントはやるんですか?」「こんな時期に出歩いている奴らは人殺しと一緒である」「経済は後回しだろ」「日本が恥ずかしい、世界の笑いものだ」

確かに、新型コロナウイルスの怖さをまだまだなめてかかっている人が多いのは事実かもしれない。自分は多分かからないし、かかったってどうせ軽症で済むから大丈夫だろうと思っている人が多いことも。そしていま上に書いたようなことは、ネット上でも、社会全体でも”正しさ”として受け止められていることは間違いがない。

しかし、なんというか、結構怖い。ネット上の”正しさ”は怖いと思うことが最近増えたが、今回の騒動でSNSが殺気立っていることには、確かにこんな未曽有の事態なのだからもっともだと思う半面、それ以上に大きな違和感を覚えざるを得ない。

それは、安全な場所から石を投げつけ続けるということに対する違和感や恐怖である。

今回の状況を”普段通りか自粛か” “経済か人命か” “呑気な日本か深刻な海外か”という観点で捉えることができるのは、僕たちがそれを許される立場にいるからにすぎない。想像力を働かせることができれば、社会はそんな二項対立で成り立っていないことはすぐにわかる。外食産業や観光、レジャー系のこと、イコール”生活に必要なことではない”のだろうか?何十、何百万人もの人々がそれらの産業で今だって戦っているだろう。自粛ムードの影響で収入が激減したり、閉店・倒産したりする店や企業の話もまた、ニュースで毎日のように耳にする。外を出歩く人々だって、意識していないにせよ、誰かを助けていることにならないともいえない。「こんなこと社会の”正しさ”に逆行するから言えないけれど、街から人が消えたらうちはやっていけなくなるわ」という経営者の方だってたくさんいるだろう。

政府や決断を下す人は、そんななかでギリギリのバランスをとりながらやっているんだろう。じゃあもう刑事罰付きの外出禁止にしてしまえとか、都市封鎖してしまえとか、そんな簡単なことではない。ヨーロッパだって当初観光業を中心にウイルスと戦おうとした。そして今の状況がある。諸外国にとってみれば日本が少し遅れて同じ轍を踏んでいるように見えるだろう。それは”新型コロナウイルスを広げるか、抑えるか”という視点からだけで見ればたしかにバカなことかもしれない。世界の笑いものかもしれない。しかし、必要最低限の外出以外が禁止になったヨーロッパで、観光業や飲食店を営んでいた人々がそのあとどうなったかなんて多くの人は知っているのだろうか?そんな視点を持たない”世界”から笑われることを気にしてどうするのだろう。

僕たち一人ひとりは、自分で発信する前に少し考えてみるべきではないかと思う。”新型コロナウイルスを広げないことが最優先”これが大きく見た社会で正しいことであるのは間違いがない。しかし一方で、社会の”正しさ”に苦しんでいる人が多くいることも考えなくてはならないと思う。そのうえで、呑気なやつらには厳しく言ってやらないといけない、それで自分が人々の行動を変えてやる、と思うならば発信すればいい。

ただ発信することがそんなに大きな力なのならば、同時に「出歩く奴は人殺しだ」とか、「経済は後回しだ」なんて、軽々しく言うもんじゃない。自分が安全な場所にいるマジョリティーという最強の立場であることを忘れてはいけない。僕が卒業した某大学は多様な価値観や視点をもつことが重視されているはずなのに、この件に関しては少しでもマイノリティーのことを考慮した見方が一切ないことは少々不思議だ。誰かに知らず知らずのうちにウイルスを移すことへの責任はどう取るんだ、といえるなら、外出をやめさせて、生活が苦しくなる人の責任はどう取るんだ、とだっていえるじゃないですか?「ことの重大性を考えれば、それはしょうがないことだよ」と言えるだろうか?言えるとすれば、それは自分がそんな立場にいないからだ。

現在停止中のイングランドサッカープレミアリーグ、リヴァプールFCのユルゲン・クロップ監督が、クラブ公式のSNSで、笑顔でこう言っている:

この動画を見ると、僕は少し泣きそうになる。今は、何かを責めるときではないんじゃないか。自分が正しいと思うことをやればいい。ポジティブな呼びかけをしたければ、すればいい。たとえ何も考えていない能天気な人々だとしても、少なくとも現時点では日本で出歩くことは罪ではないし、そのおかげで助かっている人々がいるということもまた事実だ。また、僕がInstagramでフォローしているいくつかのお店は、自粛期間中に閉店するというお知らせを投稿していたが、これだって決して当たり前のことではない。いろいろな事情がある中でそのような判断をしてくださっている場所に対して感謝しよう。こんなことを書くのは確かに恥ずかしいけれど、批判より愛情を、友情を示そう。

この先どんな状況になるにしても、自分が感染することだってあるかもしれないにしても、僕は社会の”正しさ”で何かを一面的に責める人でないことのほうが重要だと考えるし、そうでありたい。こんなどうにもならない状況で誰かを責めてどうする?SNS上で殺気立ってどうする?そう考えるのは呑気だろうか。