Hello World!

 初めてできた部下に、サーバーの知識や、HTML言語に対する理解が2000年代で止まっているとからかわれ、俺は柄にもなく腹を立ててしまった。帰りの地下鉄でそのことを考えていると、小学生の時に初めて自分のホームページを作ったことが思い出された。家に帰って、仕事の続きをするために社用のパソコンを開いたとき、俺はふと、小学生の頃に開設したGメールアカウントを開いてみた。
 あった。かつて一緒にホームページを運営していた友達からのメールにリンクが記載されていた。俺たちの成長とともに減り続けたとはいえ、メールの日付から、高校の頃までは更新がなされていたことがわかる。受信ボックスにそいつと俺とのやりとりが残っていた。全能感であふれた青臭い文章が、この世界のどこかにあるサーバーで燻っていた。
 俺は少し緊張しながら、メールに記載されているリンクをクリックした。文字が青から紫に変わり、やや間があってブラウザ上に新しいタブが開いた。

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 俺は親の影響で、小さいころからパソコンを触る機会があった。対照的に、そいつは俺の家に初めて遊びに来たあの日まで、パソコンの存在は知っていても、自分で触ったことはまったくないようだった。夏休みの晴れた日で、俺たちは川に泳ぎに行く約束をしていた。俺の母親に案内され、そいつが部屋に入ってきたとき、俺はFLASHのゲームをしていた。
 せっかく天気ええんやから、外遊びに行き、と母親は言い残して出て行った。
 そいつが、何しよん、と言いながら俺の画面をのぞき込んだ。俺がやっていたゲームの説明をすると、そいつは、それ、めっちゃカネかかるやろ、とだけ言った。インターネット上に転がっているフリーゲームなので、カネはかかってない、と俺が説明しても、そいつはにわかに信じられないようだった。すごいなあ、と感心したように言った。
 俺は、何であれそいつを感心させたことが初めてだったので、得意だった。そいつは4月生まれで、勉強もできて、ソフトボールクラブではエースだった。なにをやっても敵わなかった。その代わり、このパソコンという分野では、どうやら俺はかなり先を行っているらしかった。
 俺たちは川に行くことをやめ、午後をずっとエアコンの効いた部屋の中で過ごした。FLASHゲームを二人で交互にやった。そいつもすぐ夢中になったが、どうしてもあるポイントから先に進めないのが、俺には嬉しかった。
帰り際にそいつは、こういうのって俺らが作ることもできるん?と聞いた。俺はその発想が自分になかったことを悔しがった。有名になれるかもしれんな、と俺は冗談めかして言った。
 その日の夜から俺はホームページ制作を始めた。当時はサーバーを開設し必要な設定を済ませるだけで何日もかかった。新規のページに表示される、お決まりの”Hello, World!”の文字を見ただけで、どれだけ嬉しかったことか。しばらくしてそいつも親にパソコンを買って貰った。俺たちは発信を始めた。お互いの日記や、山や川で撮った写真や、先生の悪口などを、次々に世界に放流していった。
 そう、いまはっきりと思い出せる内容は確かに少ない。ただ、それがインターネットの大海の底に沈んでいようが、消えてなくなることはないはずなのに。

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 中学生になると、そいつは野球部に入り、活動が忙しいようでなかなかインターネットに出入りしなくなった。部活に入らなかった俺だけが、ずっと小学生のころのままだった。俺はFLASHの作成さえできるようになっていた。思い付きで作った簡単なゲームを公開して、見知らぬ数百人がプレイしたこともあった。数百人といえば、俺たちが住んでいた場所からすれば驚くような人数だった。そいつからはアクセス数が増えたことについて祝いのメールが来た。しかし自身は相変わらず、パソコンで遊んでいる暇などないようだった。
 たまに野球部が休みの日には俺たちは一緒に帰った。ある日、そいつに、お前もそろそろ部活とか、なんかやった方がええぞ、と言われた。それがいつものような軽い調子でなく、真剣に心配しているような様子だったことに、俺はショックを受け、焦った。二年生の頃にバスケ部に入部した。さほど真剣な部活とはいえなかったが、それでも、俺もだんだんとインターネットに費やす時間が減っていった。もしこの時、焦って他のみんなのような学生生活をするのではなく、ウェブの制作をずっと続けていれば、今頃は世界有数のクリエイターになれていたのかもしれないと、今でも時々思う。
 俺たちの地元は祭りが盛んだった。金木犀がしつこいくらいに香る時期になると、野球部も例外なく休みになった。そいつは地元の青年団に可愛がられていたので、中学生でただ一人だけ、大人用の神輿に乗っていた。俺はその様子が誇らしかったので、何枚も写真を撮った。そして、しばらく更新から遠ざかっていた俺たちのホームページに、その写真をアップロードして、ふざけたキャプションを書いた。そいつは満更でもなさそうな様子で、勝手に上げんなや、と言って、ニヤニヤ笑った。

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 俺は中学の部活を早々に引退し、高校受験に向けて準備し、県内で一番の進学校に進学した。そいつは野球をギリギリまで続け、推薦で野球の強い私立に入学した。本格的に、俺たちは別々の方向に向かいだしたんだな、という感覚が、その頃の俺にはあった。
 一年ほどして、突然そいつから、野球やめたわ、という連絡がきた。深く聞かなくても、高校で壁にぶち当たったであろうことは容易に想像がついた。そいつは部活をやめたあと、どういうわけか音楽に凝り始めた。ギターを買い、高校での仲間とバンドを組んだ。
 そのころから、しばらく更新が滞っていた俺たちのホームページが、突如また頻繁に更新されるようになっていた。そいつが、敬愛するミュージシャンや、自分たちのバンド活動のことをアップロードし始めていた。お前と二人で始めたホームページなのに、ごめんな、とそいつは言ってきた。俺はその頃には逆に、勉強や恋愛に忙しかったから、ホームページがどうなろうが知ったことではなかった。
 俺は順調に定期テストや模試で上位をとり、学校では一目置かれるような存在になっていた。たまに高校での友達と遊び、俺たちのホームページを見世物のように扱い、そいつがアップロードしていたバンドのオリジナル音源を、マクドナルドでの談笑のBGMにした。俺も、高校の友達たちも、そいつの音源やそいつの好きなミュージシャンたちについて、何が良いのかさっぱり分からなかった。
 高校三年の夏になって、そいつから、初めてライブハウスで演奏するから見に来てくれないか、という誘いがあった。出番が終わったら久しぶりに二人で話したい、ともあった。その連絡が来た時、俺は上り坂と戦いながら予備校への自転車を漕いでいた。貼りつくシャツに不快感を覚えながら、予備校の夏季講習と重なってしまっているから、行けない、と返信した。のちにライブの様子はYouTubeにアップロードされ、かつて俺たちのホームページだったところに埋め込み動画が貼られた。俺は深夜、勉強の合間にそれを見た。録音の品質がとても悪く、ただでさえノイズにしか聞こえなかった演奏がますます聞き取りづらくなっていた。曲間のMCでは、そいつは終始ヘラヘラしているように見えた。最後の曲を聴きながら、俺は突然、もうこいつと二人で会うことはないな、という予感がした。真夏にしては涼しい夜だった。
 それから俺たちは、会うことはおろか、ほとんど連絡も取らないようになった。都内の大学に入ってから最初に帰省した時、母親はどこから聞いたのか、すごい大学入ったんやね、って言よったらしいよ、とそいつの発言を報せてきた。俺が最後にあのホームページにアクセスしたのは、それを聞いたすぐあとだった気がする。

Hello, World!
あなたの新しい世界へようこそ。
かつてのあれこれは編集または削除し、大人になったあなたのコンテンツ作成をはじめてください。

 俺はブラウザを閉じた。それから明日打ち合わせで使う資料の修正を始めた。