君はその夢をずっと見てきた

 やたらと痛む頭を押さえながら目を覚ますとそこには見知らぬ天井があった。シミ一つない真っ白な天井だ。体を起こすと程よくスプリングの効いたベッドがきしむ。部屋は一面目の痛くなるようなピュアホワイトだ。家具もベッド以外にはない。部屋には陰一つ落ちていないものだから遠近感がおかしくなる。何より壁一面の大きな窓に目がいった。その窓の外には何やら銀色光沢のある球体がある。

 そこまで見てこれがよく見る光景であることに気が付く。きっとこれはいつもの悪夢だ。寝苦しい夜にいつもこの銀色の球体の夢を見た。この夢を見るときはいつも寝起きが悪くなる。だが起きてさえしまえばこちらのものだ。そう思って目を強くつむるがいつものように起きることは叶わなかった。確かにいつもの夢なんかよりもずっと体も頭も覚醒している。思い切りつねった腕の痛みが現実であることを教えてくれる。

 現実ならこれはどういう状況なのかとあたりを見渡す。窓の反対側の壁には扉がある。鍵が開いていればいいなと思いながら昨日の夜のこと思い出そうとする。ベッドの隣には誰も寝ていない。となると女癖は悪い自覚があるが今回はそういう訳ではないらしい。かといって酒癖が悪い訳でもないのでここで寝ていたことには納得がいかない。確か昨日は普通に家で寝ていたのではなかったのか。たまの休日もやることがないから惰眠を貪っていたはずだ。誘拐?一瞬そんな馬鹿げた考えが頭をよぎるが金も社会的地位もない彼には誰に何の得があるのかわからなかった。

 ベッドから立ち上がる。降りた白い床はほんのりと温かった。窓に近づくと外の銀色の球体はやはり存在感を増してそこにある。何度も見た景色だ。夢の中でしか見てこなかったがどことなく嫌な懐かしさがある。球体は光の反射具合から高速で回転していることがわかる。巨大な白い空間にぽつんと球体が浮かんでいる。夢の中ではこれをずっと見ていると吐き気がこみあげてきた。そのまま目を覚ましトイレで胃の中をぶちまけることがお決まりになっていた。ただ今回はそんなことはなくいつまでも見つめ続けることができそうだ。球体の向こうに視線をやると反対側にもこちらと同じような部屋があることに気が付く。ただ向こうの部屋には誰もいないようだ。窓を触るとひんやりと冷たい。ガラスを割って球体側に行くことも出来そうではあるが扉を試してみてからにする。

 ドアノブが簡単に回り扉は開く。差し込む光に目がくらむ。このまま出てしまっていいのだろうかと思いながら後ろを振り返ると相変わらず銀色の球体は高速回転を続けていた。戻ろうかと思っているところに金属をこすり合わせるような甲高い音が響き始める。音はあの金属球体からしているようだ。元から持っているイメージの悪さも相まって俺は慌てて部屋の外に一歩踏み出した。

 外は喧噪で満ち満ちていた。その建物や人の過密な様子は繁華街を彷彿とさせる。なんだこんなに人がいるじゃないかと安心する。早いところ現在の場所を特定してしまおうと周囲の看板を見る。ただその文字は見たことがないものだ。外国なのだろうか。すぐそれはないだろうなということが直感的に分かる。言語学者という訳ではないが地球上にこんな文字はないのではないかと感じた。急に恐ろしくなってあたりを見渡すと人間だと思っていたものの造形が少しずつ異なって認識される。ずっと鋭利な耳を持っていたり、顔の半分以上を口が占めていたりと歩いている者は少しずつ知っている人間からかけ離れているようだった。現に目の前をどろっとした液体状の何かが這いずって動く。きっとあれにも知性があるのだろうことが周囲の振るまいから感じ取れる。

 そうなるとさっきまで彼を明るくさせていた町の騒々しさが気味の悪いものに思えてくる。甲高い音や地響きのような音、ありとあらゆる音が彼の周りで氾濫している。その一音一音が彼とは一切関係のないものだと思うといつその音が彼に牙を向いてくるのか不安でたまらなくなった。耳をふさいでしゃがみこみたくなるのをこらえられたのはそんなことをして襲われてはたまらないという恐怖心によるものだった。

 彼は自分の正気を保つために街並みをにらみつけるようにしばらく立ち尽くしていた。街並みは変わらないが彼の心情には変化があった。この喧噪はコミュニケーションをとるためのもののはずだ。そしてこのコミュニケーションは誰かを傷つけるような雰囲気ではない。というのも彼の慣れ親しんだ活気ある繁華街のそれと全く同じように感じられたからだ。そうやって自分を何とか落ち着かせるとさっきよりも良く音が聞こえてくるようになった。どんな意味を持ってるのだろうと思うと不思議とさっきまで無色だった音が意味を持って彼の耳に飛び込んでくるようになった。意味が分かってしまえばなんてことない情報だったことがわかる。さっきまで怯えていた自分があほらしくなるほどのくだらなさなので気が抜けて膝から崩れ落ちてしまいそうだった。気持ちの悪い形をしていた文字だって意味を知ろうと思って眺めると理解が出来るからよくできている。

 ここが彼の生存を脅かすような場所ではないことが分かっただけで満足なはずだった。ただ一度欲求が満たされるともっとやりたいことが出てくるのが人間の性だ。誰かとコミュニケーションをとりたい。彼らは自分の事は全く気にしていない。突っ立っているのが邪魔だから不躾な視線をぶつけられているだけで見えていないわけではないようだ。自分から彼らが気持ち悪く見えているのを考えると彼らからしてみれば自分だって気味悪い姿に見えているのではないだろうか。ただそういった類の感情は彼らの視線からは感じられなかった。

 色々と自分の中で根拠をこしらえた彼は早速話かけることにした。かなりの数ごった返しているが、路地裏に簡単な机とビールケースでつくったような椅子に座った人に決めた。それはほとんど人間らしい見た目でかつ人間だとすればかなり美人と言えるであろう見た目をしていたからである。そこらへんのねばねばした奴に話かけてみてもよかったがどうせなら安全で綺麗な人がいい。近づくと鋭くとがった耳の先がうっすらと緑色になっていることがわかる。目の前に立つと愛想の良さそうな瞳をこちらに向けてくる。

「ここって何なんですか?」

 彼女は肩をすくめておかしそうに笑う。

「急に不躾な人ね。まぁ、いいわ」

 初夏に揺れる風鈴のような声。気のいい奴のようで嫌な顔一つせずに相手をしてくれている。彼女が向かいの席を顎で指すので言葉に甘えて腰掛ける。机の上のグラスには粘度の高そうな黒い液体が波々と入っている。隣の白い皿には鈍い光を放つ鉱物が置かれている。彼女は白く細い指でそれを一つつまむと華奢な首元に押し付ける。鉱物は光を一瞬放つと彼女の中に吸い込まれていった。

「銀色の球体は見てるでしょう?」

 彼女は俺が頷くのを見ると笑顔で続ける。

「あなたはあの球につれてこられたの。ここは第144保護惑星」

 何を聞いていいかもわからない俺が黙っているのを見るとまたおかしそうに笑う。

「私たちは最後の一人なのよ」

 そう言って手を広げてあたりを指す。

「その種族が滅亡する最後の最後の一人がここに連れてこられる。けったいなことよね。どの文明よりも進んでいる一つの種族が私たちを記念として保護してるの。滅亡したらかわいそうだとでも思ってるのかしらね」

 種族が滅亡した?こいつは何を言ってるのだろうか。ここは地球ですらないというのか。俺以外の人間はもういないと言っている。そんな馬鹿げたこと受け入れられるわけないだろ。彼女の目は青や緑にゆらゆらと静かに色を変えながら彼の事を見つめていた。

「ほら、そんな顔してたって何も始まらないわ。せっかくなんだから余生を楽しんでいきましょう?」

 彼女は鉱物を差し出しながら微笑む。

 この地球ではないらしい惑星の涼しい風が伸ばしっぱなしにしていた髪を揺らす。周囲には様々な見た目の奴らが闊歩している。確かに一人として同じ見た目の奴はいないようだ。自分の手を見ると爪の間に自動車整備の油が詰まっている。その手で鉱物を受け取ると彼女に倣って自分の首元に強く押し付けた。