じーさんばーさんに食わしてもろてます

 人生ポストシーズンだよなと思う。
 俺の人生の話じゃない。目の前のじーさん、ばーさんの話だ。じーさん、ばーさんは食堂みたいなところでナイター中継を見ている。レギュラーシーズンも終わりかけでポストシーズンへの出場を掛けた一戦らしい。俺はじーさんとかばーさんが食事を喉に詰まらせたりしないかを監視しながら食事補助をしている。
 オレンジのチームと青のチームの試合はもう既に決定的な点差が開いてしまっている。勝っているのはオレンジの方だ。ポストシーズンに出場するために焦っているのはオレンジの方で青の方はもう既にダントツの最下位が決まっているらしい。オレンジはこの試合を勝ってから明後日からの3位との直接対決に望みを掛けて息巻いているところだ。オレンジが見据えているのはもうこの試合ではなくて明後日からの試合だろう。青のホームでの試合のはずだが客の入りは悪くて盛り上がっているのはビジター側のスタンドだ。何だか見ていられない試合だがオレンジが悪い訳ではない。青がダントツで最下位なのが悪い。こうなるのが嫌なら初めから優勝争いにでも上位争いにでも絡んでいけばいいのだ。チーム事情がとか、予算がとか色々あるのだろうがそんなことはファンとか勝負の世界では大した問題ではない。今は自己責任の時代なのだ。
 向かいの机のじーさんは自分では運べないほど重い会社四季報をわざわざ机の上に置いてオレンジのチームを熱心に応援している。政治とスポーツの話はビジネスにおいて触れてはいけないとされているが地域柄この老人ホームではほとんどがオレンジを応援していて特に騒ぎになることはない。昔はやり手の証券会社の社員だったというこのじーさんは株が趣味というかライフワークなのだ。この間は2000万ちかく勝ったと自慢していた。俺の年収の何倍あるのか計算するのも嫌になった。この老人ホームは割と金持ち相手に商売をしている。サービスもホテルみたいなもんで個室で飯を食うこともできるが寂しいのかしらんがこの食堂で飯を食う老人がほとんどだ。部屋に戻るときはあの重そうな会社四季報を運ぶのは職員の仕事だ。じーさんは贔屓にしている選手がヒットを打ったようで手を叩いて喜んでいる。
 今日は夜勤なので夕食の補助をして夜間の見回りだ。入浴は昼間の人たちが済ませてくれているのでバタバタすることはなさそうだ。
 じーさんは食事が終わったようで隣にいた職員に目で四季報を指す。オレンジを応援しているといってももう決まった試合を観るほど熱心ではないらしい。贔屓の選手のヒットがみれて満足なのだろう。たまには他のチームにも優勝してもらわないと張り合いがないからなとこのシーズンはよく言っていた。いつものことなので隣にいたパートの女性は四季報を持ってじーさんの後ろを付いて行く。老人ホームにいるからと言っても家族がいないわけではない。時々息子夫婦が孫を連れて面会に来ている。着ている服とか雰囲気とかきっとこの人たちも金を持っているのだろうなというたたずまいをしている。仲が悪いのかと言われればそんなことはないらしくいつも楽し気な会話をしている。もっと相続問題とかでどろどろしたりするんじゃないかとかそういう場面に出くわしてみたい気持ちがないでもないが人前で騒いだりはしないらしい。あのじーさんに優しくして勤勉に働いていたら遺産とか分けてくれないものかと思うが家族仲も良好だしどうドラマみたいにはいかない。
 俺の人生のポストシーズンはいつになるのだろうか。こういうポストシーズンはきっとこないのだ。あのじーさんが株ができる元手があるのも寝る間も惜しんでいい大学に入って、俺くらい若い頃から一流の証券会社に勤めて寝る間も惜しんで働いてきたからだ。俺がポストシーズンにいけないのは俺の努力が足りないからだし全面的に俺が悪い。今は自己責任の時代なのだ。
 ナイターは8回オレンジの攻撃だ。ヒットと二塁打でノーアウト2、3塁になった。この回からマウンドにあがっているのは高卒4年目の抑え右投手だ。僕と同い年らしい。こんな敗戦処理、しかもダントツの最下位なんてやる気もでないよなと同情する。そう思っていると投手はじーさんが贔屓にしていた3番バッターにストレートの四球を出した。満塁になってしまう。次の4番バッターが三冠王の個人タイトルを争っているくらい打っている奴なので故意四球ではなさそうだ。投手の顔には覇気がなく無表情だ。青のベンチが動く気配はない。続投だ。もう投手の駒はないらしい。どんな気持ちだろうか。高い年俸を貰っているのに打たれた俺が悪い?こんなどうしようもない場面で登板させやがった首脳陣が悪い?変な風にフォームをいじってきたあのピッチングコーチが悪い?ここをきっちり抑えたらヒーローだ?負け試合なのに?
 もう4番バッターはボックスについて構えている。個人タイトルが掛かっているからか点差は開いていてもその目は真剣そのものだ。投手を睨み付ける顎はたぷたぷしている。ロジンをたっぷりつけた投手はセットポジションに入ると三塁に一度牽制をいれた。ホームなはずなのに酷い野次が飛ぶ。投手はもう一度セットポジションで構えて4番に投げた。
 球は4番の大腿部に直撃した。スピードガンは145キロを表示している。4番がボックスに倒れてうずくまっている。死球。押し出しで一点だ。カメラが投手の顔を映す。投手は笑っていた。笑っていると言っても口角が上がっている程度だ。手元が狂ったのに驚いたのか、何に対して笑っているのかはわからなかった。実況はその笑みに抗議をしていた。オレンジベンチは気づいていないのか投手に詰め寄る雰囲気はない。俺はその投手にいいぞもっとやれと思った。